プロのミニチュアドールハウス作家になった理由 

ミニチュアドールハウスとの出逢いはいつなんだろう?

幼い頃から小さなもの可愛いものが大好きだった。お人形遊びをよくしていたけれど
私は人形で遊ぶより、お人形用の家具や食器などの小物をあれこれ想像しながら並べることに夢中だった。そして、大人になったら家具シリーズとか全部買い集めたいと夢見ていた。

ミニチュアドールハウスというものを知ったのは、結婚して長女を授かってからだった。
ベビーカーを押しながら本屋さんで、何か手作り系の面白い雑誌が無いかと探していた時に、ミニチュアドールハウスの作り方の本が目に入ったのだ。
「可愛い!そうか、自分で作れるものなんだ」
すごい発見をした気がして、ワクワクした。

そして今。
なぜ、ミニチュアドールハウス制作が仕事になったのか?

それは、喪失感や大切なものを失うかもしれない恐怖を繰り返し経験したことと関係している。

最初の喪失感。

それは中学生の時。
父の経営していた会社が連鎖倒産し、夜逃げ同然に身の回りの最低限のものだけを持って、親類を頼って縁もゆかりもない地に移り住んだこと。
その時に、住み慣れた家も思い出の詰まったアルバムも、友人さえ無くしてしまった。

その次にやってきたのは、失うかもしれないという恐怖。

結婚して5年目の夏、記録的な集中豪雨により我が家の隣地がら向こう側が大規模崩落を起こし、我が家が断崖絶壁に立っているような状況になったのだ。その後11か月間、仮住まい先を3か所も転々としながら、復旧工事が終わるのを待ったのだけれど。
その間、雨が降る度、自分たちの大切な家が流されてしまうのではないかという恐怖に震えたものだった。
復旧工事が無事に終わり、ようやく自宅に戻れてほっとしたその1年後。

当時小学2年生だった次女の死。

朝、いつものように学校へと元気に向かった次女は、信号無視をした車のために、二度と
「ただいま」の声を聞かせてくれることが無くなってしまった。

私の人生って呪われているのか?
なぜ、こんな目にあわなくてはいけないのか?

悲しくて悔しくて。
でも同時に、自分の人生や、何より幼い次女の人生が意味のないものだとは思いたくなかった。

次女は本当によく笑う子だった。笑い出すと止まらなかった。
次女は可愛いものが大好きだった。買い物に出かけると、いつもファンシーグッズの売り場に張り付いて、目をキラキラさせてうっとり眺めていた。

天国に逝ってしまった次女を安心させたい。
そして、目の前にいる長女と長男を安心させる為にも、笑顔でいたい。

私が私らしく、笑顔でいられる場所が、大好きなミニチュアドールハウスだった。

ミニチュアドールハウスって不思議。
見た人はみな、目が輝く。大人も子供も、男も女も。
少なくとも私は、ミニチュアドールハウスを見て不愉快そうに顔を歪める人を見たことが無い。

ミニチュアドールハウスを私の仕事にしたい。
そう決意した。

そして、数々の出会いと経験を経て、
「思い出を形にする」
というテーマにたどり着いた。

事情で大切な場所、家だったり店舗だったりを手放さなくてはいけない方達の、その思い出の場所をミニチュアで残して差し上げることで、心が救われる方がいるのなら。
喪失感や失うかもしれない恐怖を経験している私なら少しは、つらい思いを抱えてらっしゃる方に寄り添えるかもしれない。

私の作品を眺めて笑顔になってくれる方が一人でもいて下さったら嬉しい。

亡くなった次女と、そして、私の仕事を全面的に応援してくれる家族と一緒に歩む道。

このブログでは、ご覧下さる皆様に
ミニチュアドールハウスの魅力
私の作品へのこだわりや思い
など、私のミニチュアドールハウス愛をお届けしていこうと思っています。

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